「大日本帝国」の誕生

執筆者:岡本隆司2019年3月9日
今上天皇のご譲位は、「天皇」号を復活させた光格天皇(在位1780~1817)以来のこととなる

 

 日本人全般の知識水準は、江戸時代に大きく向上した。「泰平の眠り」を貪っていた、という近世とは、そうした時代でもある。まず漢学の普及から漢語の素養がひろがって、知識人が漢字・漢文を駆使して思考、表現できるようになった。そして一般の識字率も上昇してゆく。

 そんな漢学に継いで勃興したのは蘭学であり、日本人はそこから西洋の学術・事物を摂取しはじめた。そしてそれとほぼ並行して、自国の伝統文化を発見し、研究する国学も、急速に発展したのである。

「皇国」という自称

 日本人の思考を考える場合、この順序をみのがすわけにはいかない。そもそも蘭学で西洋の、国学で日本の事物を講究しはじめたのは、漢学を学びながらも、中国ばかりでは慊(あきた)らなかったためである。しかしその蘭学にしても国学にしても、知見・思想を表現する言語概念は、先行した漢学経由の漢語によるしかなかった。そこに三者が日本人のなかで結びつく前提がある。

 そして漢学にはじまり、国学で昂揚したのが「尊王」思想であり、ひいては「攘夷」思想だった。そして欧米諸国を現実の相手とする「開国」ともなれば、目前の実務はもとより、具体的・抽象的な知識・認識において、蘭学の蓄積がものをいう。

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