まことの弱法師(34)

執筆者:徳岡孝夫2019年3月24日

 室友ロスを介してペンシルベニア出身のトム・ハスケルとも仲良くなった。ロスにはない、少しシニカルなところのある男だった。そのうえ中古車を持っていたので私たちの行動範囲は広まった。

 夕食をする店を探して3人で出かける。市立墓地の前を通りかかるとトムが「この子らに子孫を与えたまえ」と言う。「それなに」と聞くとトムは「図書館でキスしていたヤツらがいるだろう。あれが大学院に進むと墓地に来るようになるんだ」と説明した。なるほど、暗闇の墓地駐車場に赤い尾灯が点々と見える。墓地の駐車場なら誰に邪魔されることなくラブシーンの続きをやれるのだ。そして、その性欲から子や孫が生まれるというわけである。

 車を得た楽しみの1つは日曜日の昼食に中華料理店にいけることだった。シラキュースに2軒あった。

 まず、箸の持ち方である。何度も教えてやっと持てたときの2人の喜び。「見ろ、見ろ。俺はチョップスティックスが持てたぞ」と大声で喜んだ。チョプスイかチャウメンだけの貧弱なメニューだが、箸を操ったのは生まれて初めてなのである。彼らの家にはおそらく一膳の箸もないのだろう。飯茶碗を手にしたこともないのだろう。日本と中国が地続きでないと教わったこともないだろう。まるで3歳児のような、はしゃぎ様だった。1ドル50セントの中華そばが彼らには新大陸だったのだ。

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