まことの弱法師(35)

執筆者:徳岡孝夫2019年3月30日

 私が留学したのは1960年、ジョン・F・ケネディが大統領に当選した年だった。

 共和党リチャード・ニクソンにはすでに副大統領7年の実績がある。当時の国際問題の最重要テーマは「その大統領はソ連のフルシチョフと対等に交渉できるか」だった。民主党のケネディ候補はマサチューセッツ州選出の上院議員でカトリック教徒、ケネディ一家は金持ちだが国際政治を動かす実績はなかった。

 一方の共和党のニクソンはモスクワで開かれたアメリカ博に米代表として行き、会場で米ソ両国民の家庭電化についてフルシチョフ首相と議論したことがある。形勢は伯仲していた。

 シラキュース大学にはケネディが遊説に来た。「ジャクリーン(夫人)と私はホワイトハウスに入る準備ができている」とケネディの第一声を聞くなり前列にいた女子学生が卒倒した。ケネディの最大の武器はその若さだった。

 テレビ局で2人が会ってニクソンが「お互い日焦けしましたね」というとケネディはただの肯定ではなく「いや風でも焦げます。ほら」と腕をまくって見せた。

 ニクソンが「モスクワのアメリカ博でフルシチョフと議論した」と誇るとケネディは間髪をいれずやり返した。

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