1953年に大阪府立大学を卒業した寺師一清(てらしかずきよ)は「実家から通える」という理由で早川電機工業(現シャープ)に入社した。大卒入社の1期生で同期は13人いた。大学で機械工学を学んだ寺師は研究所に配属された。

 その年の2月に『NHK』のテレビ放送が始まった。売れるかどうか分からなくても、いの一番に製品化し、世間から「ハヤカッタ電機」と冷やかされていた早川電機は、放送が始まる前に電機業界の先陣を切って家庭用テレビの量産に踏み切った。

車より高い調理器

 「期待の新人」寺師は、続々と開発される新型テレビのシャシー(枠組み)設計を担当した。

 1958年になると寺師は平野工場(大阪市)に移った。平野工場はテレビのほか、冷蔵庫、蛍光灯、炊飯器を生産しており、寺師は掃除機やミキサー・ジューサーの開発に携わった。翌年には製品企画部長に抜擢された。入社6年目で部長というのは超スピード出世に思えるが、大卒1期生の寺師たちは入社当初から「幹部候補」であり、ベンチャー・スピリットに溢れる社内では、「当たり前の人事」と受け止められた。

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