まことの弱法師(36)

執筆者:徳岡孝夫2019年4月7日

 1960年のクリスマス前、私はシラキュースから一緒に行った日本人留学生3人と別れ、ワシントンDCの毎日新聞支局へ行った。大森実さんと支局員2人がいた。壁にワシントンと東京、2都市の時計があり、通信社のチッカーが休みなく最新情報を吐き出していた。これこそジャーナリズムの現場だという、私にとってはもっとも刺激的な光景だった。

 大森氏は神戸の人で大阪本社社会部記者だったこともあり、つまり、私にとっての直系の先輩であった。初めて会う私を「おう、よく来た」と機嫌良く迎えてくれた。

剛腕、型破りの人であった。シベリアの「異国の丘」で使役されていた旧日本軍の将兵が、やっと帰国を許された。その再開第一船第一陣が興安丸に乗って祖国へ帰ってくる。舞鶴到着の前に社用機が洋上で船をとらえ、祖国に着いた時には街頭で号外を配る。大森氏はその号外を書く仕事を命じられた。

 各社は予定稿を準備した。大森氏は将兵と家族の再会を人情話に書くだけでなく、興安丸の船内の見取り図を調べた。空から日本の小型機が接近した時、船客はどこに出て手を振るか、それを調べ事前に取材して、予定稿を書いた。

 現実は大森氏の予定稿通りに進んだ。伊丹に着いた大森氏は1字も書き直す必要がなかった。「毎日」の号外はどこよりも早く出た。

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