灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(38)

執筆者:佐野美和2019年4月7日
若き日の藤原義江。撮影年不詳だが、撮影者は第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)

 義江がニューヨークの「ホテルアンバサダー」に宿泊して2日が経った日曜日。

『ニューヨーク・タイムズ』の『日曜特別版』に、義江の特集記事が出ていた。

 ボルサリーノの帽子をかぶり横を向いた義江が、船のデッキに立っている写真だ。写真の下のタイトルには「ルドルフ・ヴァレンティノ日本版」と書いてある。

 一面ほとんどが義江の写真という扱いで、その反響は都会でも広まった。

「ヴァレンティノという役者、知っていますか? 僕は知りませんでした」

 不破は、

「もちろんだ。イタリア出身で、今飛ぶ鳥を落とす勢いの美男子俳優だ」

「不破さん、映画観に行って見てみましょうよ」

 2人は、映画館のドアを開けた。

 ヴァレンティノを観た義江の感想は、

「なんだい。俺の方がよっぽど美男子だい」

 と心で思った。そう感じたことは不破には黙っていた。思い込みだけで飛ぶ鳥を落とせそうな、自己顕示欲の塊の義江だった。

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