これだけのインタビューに応じたのは極めて珍しい(『FT』より)

 

 筆者がロンドンでおっかなびっくりオイル・トレードを始めた1980年代半ば、業界には「ミリオン・ダラー・クラブ」なるものがあると教えられた。トレードで大成功し、ボーナスを100万ドル以上貰うことが「入会資格」だ、と。

 サラリーマン・トレーダーの筆者は、最初から「応募資格」すらない世界だ。

 それから数年して、プロのオイル・トレーダーを雇用し、子会社を設立して彼らのトレードを管理したこともある。全社的なルールの中で、耐えられる最大損失額を勘案しながら、どこの会社とどれくらいの取引をしていいのかという信用限度と、価格リスクを採る「売買越限度」を設定し、その範囲内であれば自由にやってもらった。それでも「ミリオン・ダラー・クラブ」に参加できるほどの利益をあげる年が多かった。

 もちろん「ミリオン・ダラー・クラブ」というのはジョークで、それくらい稼ぐのが一流のオイル・トレーダーだ、というわけだ。

 そんな頃、オイル・トレードの「神」と噂される男がいた。英大手石油会社「BP」から、当時最大の商品トレード会社「フィブロ」に転身したアンディ・ホールだ。だが、マスコミに出ることを嫌っていたらしく、報じられることは少なかった。また、筆者がその後、石油開発事業に従事するようになったことも、彼の名を目にすることが少なくなった一因だろう。

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