浅田篤が早川電機工業(現シャープ)に入社したのは1955年。社員数はまだ1300人で、創業者の早川徳次が誕生日の社員を社長室に呼び、紅白饅頭を手渡すような家族的な雰囲気が残っている時代だった。朝鮮戦争の特需で国内の景気は上向き、皇太子(今上天皇)ご成婚の中継を自宅で観よう、というので白黒テレビが爆発的に売れた。

「会社の未来を語る会」

 日本で初めてテレビを量産した早川電機は大いに販売を伸ばしたが、当時のテレビは部品の品質が安定せず、よく故障した。販売網も整備できていない早川電機は、本社から浅田たち若い技術者を顧客の所に送って故障に対応した。

 皇太子ご成婚で家庭への普及が本格化したとはいえ、まだ主な買い手は旅館や銭湯である。奮発して買ったテレビが映らなくなると、顧客は怒るというより困り果て、浅田たちが駆けつけると「よく来てくれた」と歓迎された。田舎の温泉旅館に修理に行った時には宿の主人が「こんな遠くまで申し訳ない」とタダで1泊させてくれたこともある。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。