『ロケット・ササキ』外伝(3・了)「コンピューター」と格闘を続けた「浅田篤」

執筆者:大西康之 2019年4月16日
エリア: 北米 日本

 浅田篤が早川電機工業(現シャープ)に入社したのは1955年。社員数はまだ1300人で、創業者の早川徳次が誕生日の社員を社長室に呼び、紅白饅頭を手渡すような家族的な雰囲気が残っている時代だった。朝鮮戦争の特需で国内の景気は上向き、皇太子(今上天皇)ご成婚の中継を自宅で観よう、というので白黒テレビが爆発的に売れた。

「会社の未来を語る会」

 日本で初めてテレビを量産した早川電機は大いに販売を伸ばしたが、当時のテレビは部品の品質が安定せず、よく故障した。販売網も整備できていない早川電機は、本社から浅田たち若い技術者を顧客の所に送って故障に対応した。

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執筆者プロフィール
大西康之 経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)、「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」 (講談社現代新書)、「東芝 原子力敗戦」(文藝春秋)、「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正」(新潮文庫) がある。
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