「異次元の少子化対策」は「流山」で実現している! 人口増加率6年連続全国トップの秘訣

執筆者:大西康之 2023年3月6日
タグ: 岸田文雄 日本
エリア: アジア
「人口増」施策が異例の成功を見せる流山市だが、決して「奇策」頼みではない(写真はつくばエクスプレス「流山おおたかの森」駅)

 出生数80万人割れの日本はいま、「社会機能を維持できるかの瀬戸際」(岸田文雄首相)だ。政府が「異次元」を称する策には支持も異論も百家争鳴状態だが、一足早く実績を上げてしまった注目の地方都市がある。

 千葉県流山市はこの10年で0~4歳の子どもが3000人以上増え、人口増加率6年トップを達成した。奏功した施策は決してトリッキーなものではない。

 自らも流山市民として数々の取り組みを体験し、話題の新刊『流山がすごい』に著した経済ジャーナリストの大西康之氏が、その意外な、そして生活が楽しくなる成功の秘訣をレポートする。

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 2022年の出生数は前年比5.1%減の79万9728人(厚生労働省)。80万人割れは比較可能な統計を取り始めた1899年以降、初めてだ。23年はコロナ禍の影響もあり70万人台前半になると予測されている。

 年率5%減が続けばわずか10年で日本の出生数は50万人を割り込む。我が国は「異次元の少子化」に突入した。岸田政権は「異次元の少子化対策」を掲げ、3月末をメドに具体策をまとめるとしているが、国民の間には「何をやっても子供は増えない」という諦めにも近いムードが広がっている。

 そんな日本で、時ならぬ小学校の新設ラッシュが続いている場所がある。千葉県流山市だ。2015年に開校した「おおたかの森小学校」を皮切りに、2021年には「おおぐろの森小学校」が開校し、2024年には市野谷小学校(仮称)と南流山第二小学校(同)の新設が予定されている。およそ10年で4校というハイペースだ。

 理由は子供の数が増えているから。2012年に8335人だった0〜4歳の人口は2022年、1万1938人と3603人も増えている。全国に792ある市の中で人口増加率は2021年まで6年連続トップを走っている。

 流山市在住30年の筆者は昨年12月、新潮新書で『流山がすごい』という本を書いた。私が住み始めた頃はこんなやり取りが当たり前だった。

 「どちらにお住まいですか」
 「流山です」
 「えーっと……?」
 「千葉県の」
 「はあ?」
 「松戸の上、柏の横ですね」
 「ああ!(なんでそんなところに)」

 流山市のメディア露出が増えたこともあり、最近はこう変わった。

 「どちらにお住まいですか」
 「流山です」
 「ああ、なんかすごいらしいですね」

 その「すごい」の中身を掘り下げようと試みたのが本書である。

民間出身の市長が全国初の「マーケティング課」を設置

 流山市の人口が増えた最大の要因は、2005年のつくばエクスプレスの開通である。それまで地下鉄千代田線で馬橋駅に出て、そこから流鉄流山線に乗るか、上野から常磐線で柏駅に出て、東武野田線に乗り換えるしかアクセス方法のなかった不便な街が、つくばエクスプレスの出現により秋葉原と最短20分(南流山―秋葉原間で快速を利用した場合)で結ばれた。筆者もそれを見込んで移り住んだ口である。

 しかしそれだけで人口、いわんや子供の数は増えない。実際、つくばエクスプレスには秋葉原からつくばまで20の駅があり、都内からつくば市まで、その間に10を超える市や区があるが、流山市の人口増加率は群を抜いている。

 2004年に約15万人だった流山市の人口は2021年に20万人を突破した。この間、市長を務めているのが井崎義治氏である。

 民間企業出身で米国の都市計画会社で働いた経験を持つ井崎氏は、帰国するとき都心へのアクセスと緑の豊かさを勘案して流山市にマンションを買った。しかし新線開通に沸く流山では、都市計画のグランドデザインもないまま、手当たり次第の開発が始まろうとしていた。

 見るに見かねた井崎氏は地盤も看板もカバンもない状態で1999年の市長選に立候補して落選。しかしその後4年間、地道にタウンミーティングを続けて市民に「こんな街を作りたい」と訴え続けた結果、2003年の市長選で初当選を果たした。

 民間出身の井崎氏は流山市をSWOT分析した。Sは「強み」、Wは「弱み」、Oは「機会」、Tは「脅威」。それぞれの要因に分け、対策を講じるマーケティングの基本である。流山の強みは緑豊かな自然環境、弱みは知名度、ブランド力の低さ、機会はつくばエクスプレス開通による都心へのアクセスの改善、脅威は少子高齢化である。

 それぞれの対処法を具体化するため井崎氏は市役所に全国初の「マーケティング課」を立ち上げた。古株の職員は「役所が商売でも始めるつもりか」と猛反発したが、米国で10年近く都市開発に携わってきた井崎氏にすれば、市役所がマーケティングをするのは当たり前のことだった。井崎氏は言う。

 「日本の都市開発はデベロッパーが作ってお終い、というパターンがほとんどですが、米国ではデベロッパーと地元住民の間に都市プランナーが入り、お互いがどんな街作りをしたいのかすり合わせていきます。私がやってきたのがまさにこの都市プランナーでした」

 経済学の泰斗、ピーター・ドラッカーによれば、マーケティングの目的とは「販売を不要にすること」である。「マーケティングの目的は、顧客について十分に理解し、顧客に合った製品やサービスが自然に売れるようにすることなのだ」

 ドラッカーの言う「顧客」を「市民」に置き換えたのが井崎市政だ。単に「人口を増やしたい」ではなく「どんな人たちに来て欲しいか」を考えた。その結果、将来的な税収増加に結びつく「子育て世代」にターゲットを絞り込む。

保育士に月10万の補助金、子育て世代の味方「送迎保育ステーション」

 子育て世代を呼び込むには、子育ての環境を整えねばならない。おりしも当時の日本では保育園に入れないため働けない「保育難民」が社会問題になろうとしていた。井崎氏は「保育園大増設」の号令をかける。井崎氏が市長になった時17カ所だった保育園は現在、100カ所を超える。

 ただ箱を増やすだけでは保育環境は整わない。流山市は市内で働く保育士に支援金と住宅補助を合わせ月間10万円の補助金を出して、優秀な保育士をかき集めた。

 さらに出色だったのが「送迎保育ステーション」の開設だ。保育園が見つかっても、自宅のそばとは限らない。兄弟が別々の保育園というケースもあり、「送り迎え」は子育て世代の大問題だ。

 そこで流山市はつくばエクスプレスの流山おおたかの森駅と南流山駅の駅前にある保育園を園児たちの「送迎ターミナル」に仕立てた。7時から子供を預かり、バスで市内各所の保育園に送り届ける。夕方には同じバスで保育園を周り、18時までに送迎ターミナルに集めておく。通勤の途中で子供を預け、引き取れるから便利なことこの上ない。

 このサービスを1日100円、月額2000円で提供した。夜は延長料金を払えば最大で20時まで預かってくれる。

 こうした制度を整えた上で、井崎氏は「弱み」の知名度を引き上げる策に出た。有名コピーライターに依頼して作った市のキャッチコピーは「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」広々とした公園で幸せそうに遊ぶ親子の写真にこのコピーを被せたポスターを東京都内の地下鉄のホームに貼った。

 その後も新しい試みは続いている。前述したおおぐろの森小学校、中学校の校歌の作曲は『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」で有名な流山在住の作曲家、木村弓。作詞は一青窈に依頼した。おおぐろの森中では「校則なし」という斬新な学校運営に挑戦している。

 民間でも障害者を雇用して有機野菜を栽培する「えかオーガニック農場」や、古民家をリノベーションし32歳の女主人が営む和菓子屋「めい月」、地元出身の元Jリーガーが立ち上げ流山からJリーグ入りを目指すサッカーチームの「流山FC」、フードバンクで調達した食品で運営する子ども食堂など、様々な試みが繰り広げられている。

 流山市と同じやり方で全国の自治体が人口増に転じるほどことは単純ではないだろう。だが流山市が他の自治体に真似のできない特別なことをしたわけでもない。一つだけ確かなのは、子供が増え続けている街では大人の顔も生き生きしているということだ。「日本はもうダメ」と諦める前に、カフェの席の横にベビーカーを止めて子供をあやしながらパソコンを叩くママたちや、ママチャリで疾走するパパたちで溢れた流山市をぜひ一度、見に来てほしい。

 
カテゴリ: 政治 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
大西康之(おおにしやすゆき) 経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に『GAFAMvs.中国Big4 デジタルキングダムを制するのは誰か?』(文藝春秋)、『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)、『東芝解体 電機メーカーが消える日』 (講談社現代新書)、『稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生』(日本経済新聞社)、『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮文庫) 、『流山がすごい』(新潮新書)などがある。
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