灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(40)

執筆者:佐野美和2019年4月21日
若き日の藤原義江。撮影年不詳だが、撮影者は第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市「藤原義江記念館」提供)

 夫から離れ娘と東京に出戻って来たにもかかわらず、離縁も承諾されず中途半端な立場に、あきはとてつもない人恋しさにかられていた。

 少女の頃から恋心を抱く贔屓の花形歌舞伎役者、市村羽左衛門の芝居に通い詰め、いつかあの人の「後添い」になりたいと夢を膨らます。

 そんな時に出会ったのが「我等のテナー」として席巻中の藤原義江だった。

 帝国ホテルに滞在中という情報から、一計を案じ、映画の切符とともに英文でしたためた文をフロントに託した。

 当日、映画のエンドロールが流れても、隣の席は空いたままだった。

 生きてきた中で一番傷ついた出来事だった。

 娘時代ならともかく、いい歳をした自分が、若き歌手を誘い袖の下にされるとは、自分は道化者だと情けなくなった。

 もしかしたらその日は予定があったのかもしれない。いや、「時の人」の周りには沢山の女性がいて私などになびくはずかない。

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