まことの弱法師(38)

執筆者:徳岡孝夫2019年4月27日

 大森実氏は北ベトナム政府の招待でハノイに行ったとき、米空軍の北ベトナム爆撃のニュース映画を見せられ、小児病院が爆撃される様子を書いて米軍の非人道性を記事にした。

 記事はライシャワー駐日米大使の「プロパガンダ映画の鵜呑みは疑問だ」との批判を招いた。

 毎日新聞は言論の自由への米政府の攻撃と受け止め、論争になった。大森氏が社を辞めることになった原因である。結局大森氏は退社し、毎日は大使の批判を突っぱね一件は平行線のうちに終わった。

 そのとき私は『サンデー毎日』記者だったが、米政府に対抗する論戦に加わることはしなかった。シラキュース大学院では「言論の自由は、新聞を批判する側にも正当なスペースを与えなければならない」と教えていて、私は社の態度を完全には正当化できなかったからである。

 世界は東西冷戦の真っ最中であり、真実の捏造もあり得た時代であった。『サンデー毎日』は最後まで大森氏とライシャワー氏の「論戦」に参加しなかった。

 ワシントン時代から天才的な輝きを放っていた大森さんは毎日新聞を退社後、同志と共に週刊新聞を始めたが、長続きしなかった。その頃は『朝日ジャーナル』が売れに売れていた時代で、大森氏の孤高の闘いは朝日左傾・進歩主義の圧倒的な吸引力に勝てなかった。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。