灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(41)

執筆者:佐野美和2019年4月27日
若き日の藤原義江。撮影年不詳だが、撮影者は第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)

「娘たちを産んでも私は処女なの」

 というあきの言葉は終わりを迎えた。

 長い間の孤独な気持ちから一転、好きになった男との初めての朝を迎えたあきの頬はまん丸に輝いていた。

 このまま、どうかこのまま、時が止まりますようにと願う。

 自分もいつの日かこの世を去るであろう、その時に思い出すのはこの光り輝く朝の景色かもしれない――。

 2人は箱根から帰ってからもお互いに夢中になり、人目を忍んで逢瀬を重ねた。

 あきの娘が夏休みに入り家に居る時間が多くなった。あきの理性から子供にはきっちり接しているつもりでいるが、もういっぱいいっぱいだった。

 頭を冷やすためにも、離婚の話を詰めるためにも、夏休みだけでも娘を連れて大阪の夫の許へ帰ろうと、決意をした。

 不思議なものだ。あれほど嫌がっていた夫だが、自分の心が満たされると、優しくしなければという気持ちにもなってくる。

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