灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(50)
2019年5月6日
翌朝、陽が昇るとあきの眼はニースの海に釘付けとなる。ナポリの碧い海よりもっと明るい碧さの海なのだ。
朝食後、義江と散歩に出かけると、洗練された海岸通りが別天地のようだった。
「まあ、いいわね」
太陽と海に顔を向け、なんども同じ言葉が出る。
夏にはこの海岸に、上半身裸の女性たちが海水浴や日光浴をするという。
着物という布にがんじがらめに縛られている日本の女性との違いに、にわかに信じられない思いがした。
ニースで過ごすために自分は生まれ、辛い結婚生活などを経てきたのかもしれないと思えるほど、そこは素晴らしい場所だ。
「これが私の人生なのかもしれない」
パートナーは歌をうたいお金を稼ぎ、そして自分も寄り添うようにこのヨーロッパで暮らして行くのだ。開国からまだ60年足らずですっかり西洋崇拝の強い日本では、自分のような人間はこれから生きにくいと調子の良いふうに考えてみる。
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