即位を祝う一般参賀で手を振られる天皇、皇后両陛下(C)時事

 

 徳仁親王が即位された。テレビのニュースは、皇室をめぐる話題で持ちきりだ。古代史にかかわる者として、当然のことだが、このところ「天皇とは何か」ばかり考えている。

 なぜ天皇は長くこの国に君臨したのか。こののち、天皇は続いていくのか。国民は、天皇を守っていけるのか……。

 こののち、もし世界中の「王様」がいなくなったとき、「日本はいまだに天皇を推戴しているのか」と、問い詰められるだろう。「なんと、前近代的な」と、批難されるに決まっている。そのとき、日本人は、なんと答えるのだろう。

 困ったことに、日本人自身も、天皇の正体をよく理解していない。世界から詰め寄られたとき、反論できる材料は「伝統を守るため」ぐらいしかないのだ。これでよいのだろうか。

「天皇」と「法灯」

 比叡山延暦寺に「不滅の法灯」があって、延暦7(788)年に天台宗の開祖・最澄が燈明を掲げて以来、1200年以上途絶えていない。最澄は「この法の灯を、末法の世がおわり弥勒菩薩がお出ましになるまで、お守りし、夜を照らすように」と、願った。

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