灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(54)

執筆者:佐野美和2019年6月2日
自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)

 夫を心より愛していたし、その愛と夫の芸術に日々酔っていた。

 檜舞台にいた夫が自分と一緒に暮らすようになったことは、日本での日常生活がこうして始まってみると一層信じられないことでもあるし、毎日精一杯生きているという実感がある。

 この頃あきは婦人雑誌『婦女界』のインタビューに「夫婦の間の幸福」についてこう答えている。夫婦とは第1に「一生の話相手」であると。そして「健康であること」「ユーモアを解すること」と続く。

 芸術の結晶であるオペラ運営の「藤原歌劇団」設立で、2人には山ほどやらなくてはいけないことがあり、意見の相違もたまにはあるが、同じ目的に向かい話をしたら止まらない。それは十数年にわたる宮下との結婚生活とは相反するもので、時として夫が夫でなく同志にも感ずるくらい闊達な意見交換などが出来ている。

 これこそが新しい夫婦の姿なのかもしれないとあきは思う。

 2人でミラノに暮らしていた時は、妊娠・出産の時期とも重なり、義江も仕事先や歌のレッスン先から一目散に我が家に帰って来た。バーで1杯などということはせず、あきのこしらえた日本料理を食べに一目散に戻ってきたものである。

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