アフヴァーズ市内のモスク(筆者撮影)

 

 3月中旬、数年ぶりにイランを訪れる機会を得た。今回は国内便を利用して地方都市にも足を延ばすことができたが、経済制裁下でも急速に進むデジタル社会の進展ぶり、他方で伝統に根ざす豊かなその素顔に触れることができた。むろん、国際社会から切り離されている困難さも少なからず感じることになった。

 これから現地でのエピソードを中心に、イランの過去と現在の姿について少し触れてみたい。なにしろ大学の同僚にもイランに行くというと、「危なくないですか?」と問われる昨今である。実際に大きな問題を抱えていることは承知しているが、これほど「誤解」されている国も少ないだろう。

 今回は特にフーゼスターン地方について述べる。しばし、誌上旅行にお付き合いいただきたい。

「イラン・イラク戦争」と「エラム文明」

フーゼスターンの地図(グーグルマップより作成)

 フーゼスターンと聞いて具体的な場所を理解する人が日本にどれだけいるだろうか?筆者自身、ほとんどイメージを持っていなかった。位置するのはイラン南西部のいわゆる湾岸地域と接するイランとイラクの国境地帯で、かつてはイラン王朝から「アラベスターン(アラブ人の国)」と呼ばれていた地域である。

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