「友」と刻まれた石の野球ボールがある秀和さんの墓=2013年4月3日(筆者撮影、以下同)

 

 東日本大震災の大津波が石巻市を襲った2011年3月11日から2週間後。小学校を卒業間近だった三男秀和さん=当時(12)=を亡くした鈴木由美子さん(50)と家族に、枕経で訪れた西光寺副住職、樋口伸生さん(56)は、「死んだ後、また逢える」と伝えた。

「秀(秀和さんの愛称)を1人で逝かせてしまった。もう何もしてあげられない。生きる意味はなくなり、死ぬことしか考えられなかった」

 由美子さんはその時を振り返る。心は暗い死の世界との境をさまよっていた。

「いま見えているものが妄想か、夢の中にいるのか、別の世界にいるのか分からず、自分の身に何が起きたのか、なぜ自分が存在しているかさえあやふやになった」

「ただ呼吸をしているだけ。3月11日のあの時を思っては自分を責め、私自身が生まれてきたことに嫌気がさした」

 そんな由美子さんと、津波の渦中で弟の手が離れてしまったことに苦しむ次男に、樋口さんの伝えた言葉が「精いっぱい生きた後に、また逢える」だった。さらに続けたのは、「秀和くんはこれから、皆の『善知識』になる」「私たちが良い人間になるよう導いてくれるのが、秀和くんの仕事になる」。

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