バンコクが非常事態に陥った「5月事件」(C)AFP=時事

 

 毎年、この時期になると天安門事件に関する報道や見解が、内外のメディアに溢れる。今年はちょうど事件発生から30年の節目の年である。加えて貿易戦争に端を発した米中両国の緊張状態がエスカレートしているだけに、注目度は例年にも増して高い。

 もちろん、その大部分は民主化運動を戦車で圧殺した鄧小平を頂点とする当時の共産党指導部に対する糾弾であり、当時の対応が正しかったと一貫して唱え続ける歴代政権の姿勢への抗議であり、言論統制を一層強める習近平政権に対する批判でもある。

 世界が天安門事件を忘れず、真相究明と正当な歴史的評価を求め続けることは当然であり、ことに中国の人々にとっては極めて真っ当な権利だろう。

 だが毎年、事件関連の報道が溢れるこの時期になると、1989年の天安門事件から3年ほど後にタイで起こった「5月事件」を思い出さずにはいられない。そして必ずと言っていいほどに浮かんでくるのが、タイにおける流血の惨事を世界は忘れてしまったのかという疑問である。

 筆者は5月事件の現場で民主化を求める人々の熱気を肌で体感し、一転して恐怖を味わっただけではなく、民主化を求める側と制圧する側の双方に友人を持っていたという個人的事情に拘り続けているからこそ、やはり「5月事件も忘れるな!」と強く言い続けたい。

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