【魂となり逢える日まで】シリーズ「東日本大震災」遺族の終わらぬ旅(4)
2019年6月15日

8年前の津波襲来まで青木謙治さんが立っていた北上川河畔=2019年3月15日、石巻市(筆者撮影、以下同)
宮城県石巻市門脇町の浄土宗西光寺で東日本大震災の九回忌法要が行われた2019年3月11日、青木恭子さん(60)は同市大川地区の北上川河畔にいた。津波でわが子を亡くした母親らの「蓮の会」(本シリーズ第3回を参照)の仲間、鈴木由美子さん(50)らは西光寺で毎年の法要を手伝うが、恭子さんは大地震が起きた午後2時46分から、大津波が襲来したとされる同3時半過ぎまで、いつも家族と共にこの河畔にたたずんで祈る。広くゆったりと流れる川面の向こうは薄緑色の新北上大橋。約5キロ下流は太平洋の追波湾に至る。大橋の先には、津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった大川小学校の廃校舎がある。
恭子さんと家族が訪れたのは、県道が走る右岸の堤防の上だ。震災前には間垣地区という集落が堤防沿いにあった。いまは大型圃場の水田に変わり、一角にあずまやのある公園が設けられた。2017年10月に住民有志の会が建立した慰霊碑にこう刻まれている。
〈午後三時三十七分に巨大地震による大津波が襲来し、堤防を八百メートルに亘って決壊させ、人命のほか、住居、車、田畑などを飲み込み、壊滅状態となった。
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