灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(56)

執筆者:佐野美和2019年6月16日
自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)

 昭和11(1936)年2月26日。

 鎌倉山の家であきが目を覚ますと、あたり一面に溜まる積雪が気温を一層下げているようだ。

 この2月は雪ばかりだった。もう春なんて永遠に来ないのではないかと思ってしまうほど寒く、黒い雲が手を伸ばせば届きそうなところにある。こんな時は、同じように暗く厳しいミラノの冬を思い出すようにしている。そうすると少しは気が晴れるのだ。

 しかし、あちらでは石造りの家にセントラルヒーティングなるものがあり、家の中全体を温められた。日本では炬燵に火鉢しかなく、こう寒いと火鉢や炬燵から離れられない。

「日本のお家の中は、うすら寒いことね」

 息子に話しかけてみるが、自動車のおもちゃに遊ぶのに夢中だ。

 夫は帝国ホテルに数日前から宿泊している。

 4月からアメリカ経由で欧州に渡り、ベルリンを皮切りに演奏会の予定が詰まっている。その打ち合わせやらなんやかやで帝国ホテルに泊まることが多い。

 それにこんなにも雪が降り積もると、鎌倉山は陸の孤島のようにも感じてくる。お隣の近衛さん(近衛文麿貴族院議長)の奥さまもおひとりなのかしらと、無性に人恋しくなる。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。