ヴァフシュティの碑文のコピーを手にする子孫のゲゼルバーシャーン氏(筆者提供、以下同)

 

 6月12~14日、安倍晋三首相がイランを訪問した。前回も冒頭に記したように、現在これほど誤解されている中東の安定大国もないだろう。大きな社会問題を内包しつつ、イラン脅威論が声高に叫ばれるのは、その秘めたる力を周辺国が恐れ、また欧米露中各勢力が何とかその利権に食い込もうと、現在も水面下で角逐を繰り広げているからだ。もっとも、大きな変動期を予感させる社会矛盾の増大にも直面しており、「安定」の内実は慎重にはかる必要もあろう。

 さて、前回も述べたように今年3月、イランの中でも全くと言っていいほど知られていない在住ジョージア(グルジア)人コミュニティの招きに応じて、これまた日本人には馴染み薄いペルシア湾岸のフーゼスターン地方を訪れた。多民族国家イランの複雑な歴史を辿る旅となった。

 3月のフーゼスターンは新緑が芽吹き、気候も未だ穏やかで、訪れるのにベストのシーズンだったのは幸いだった。前回はフーゼスターン州都アフヴァーズについて記したが、今回は北部のデズフールについて記していこう。以下に述べるように、多くの観光資源に富む素晴らしく魅力的な街であった。

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