灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(57)

執筆者:佐野美和2019年6月23日
自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)

 あきが海のはるか向こうにいる夫に書く手紙は続く。

 

〈東京日日新聞に「藤原義江クン大威張り」という見出しで、NBC社と三カ年の契約が成立したと出ています。(実際は3カ月。3年は誤報)ほんまかいな。ほんとうにそうなら何より素敵ね。

 お金お金ってばかり言って、少し気がさすけれど、そんなら、お金もまとまってもうかるのでしょう。それが何よりうれしい。どうぞどうぞ、真実でありますように……。どうぞ数万ドルもうかりますように。数十万と言わないところが、私らしくて可愛いでしょう? 6月15日午前〉

 

〈ポーランドからのお手紙来ました。ママのお株をとって、このごろはパパの方がファリたいファリたいのお手紙でおかしいわね。この手紙をとっておいて、これから、私がしたいっていうのに、いやがってプンプンする時には、これを読み上げることにします。6月15日〉

 

「シューベルトの恋」での義江(1935年6月、「有楽座」こけら落とし)

 義江があきに書いた手紙はのちにすべて処分されたというが、あきの旅行鞄からたった1通だけ欧洲からのその手紙だけが、あきが亡くなってから見つかった。あきは本当にこの手紙のみ取っておいたのだ。

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