灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(58)

執筆者:佐野美和2019年6月29日
自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)

 義江は自分を師と仰ぐ好きな女性の育成が楽しくて仕方なかった。思いのままに自分の色に染めていくのだ。ひと回り干支の離れた女性と居ることは、自分が若いままでいられるような気もしてくる。最近際立って広くなった自分の額を鏡でみると、若さというものが尊いものに感じられる。

 あきに対する思いは、どうなのだろう。もちろん誰よりも大切な人であり愛していることに変わりはないが、すでに完成された女性であり慈愛深き母のような女性でもある。自分がどんなに駄目な人間であろうと、最後まで自分によりそってくれる女性でもあるのだ。

 義江はあきが聖母マリアのように見えることがある。

 鎌倉山での生活でこんなことがあった。

 北海道の演奏旅行中、湖畔の温泉宿のお膳に並べられたマスを食べたことで義江の腹のなかに虫が湧いたようだ。帰宅してあきに話すと、

「それは大変だわ。このお薬をまず飲んでちょうだい。そして用便をしたら流さず、そのままにしてちょうだいね」

 きざしてきた義江が気持ちよくトイレの鎖を引くと、

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