「日米同盟」「憲法9条」を考え直す

執筆者:篠田英朗2019年7月3日
1919年、パリ講和会議に出席する(左から)ロイド・ジョージ英首相、オルランド伊首相、クレマンソー仏首相、ウィルソン米大統領。この会議で、国際連盟の規約も討議された (C)AFP=時事

 

 G20大阪サミット開幕日の6月28日は、たまたまベルサイユ条約締結100周年の日であった。

 戦前の日本は、対外的な侵略行動でベルサイユ体制の崩壊に寄与してしまった。100年後にはあらためて国際秩序を維持するための努力を払っているのだとしたら、良いことだ。

 だがそれにしても、日本人のベルサイユ条約への意識は希薄であり、同時に締結された国際連盟規約への意識も希薄であるように思う。

 ちょうどG20の前にドナルド・トランプ米大統領が日米同盟の非対称性に対して苦情を言った、というニュースが流れた。国際社会の秩序の中で安全保障を考え直してみるには、ちょうどいい機会であるかもしれない。ベルサイユ条約=国際連盟規約100周年の時を捉え、国際社会の秩序の観点から、国際連盟規約における集団的自衛権の問題、そして日米同盟体制の問題を、歴史的視座で捉え直してみたい。

日米同盟の歴史的意味

 トランプ大統領が日米同盟の片務性について述べたことがニュースになった。興味深かったのは、日本のメディアが過剰な反応を示したことだ。日米同盟の片務性(国際政治学者は通常これを「非対称性」と呼ぶ)についての言及は、大統領選挙中に繰り返し述べられていたことである。今でも時々トランプ大統領がその認識についてふれたりすることは、さほど驚くべきことではない。

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