灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(62)

執筆者:佐野美和2019年7月28日
自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)

 夫も自分も今が正念場だ。夫が種を蒔いてきたオペラという木がようやく育ち始めるのだ。自分の父親の縁で大きな援助者が1人増えたというのはありがたく、あきは心の中で父にそっと手を合わせた。

 藤原歌劇団のパトロンとなってくれた三井高公男爵に続き、新たな救世主が現れる。銀座一丁目に「焼き物や」の店を構える「陶雅堂」の主人、日比野秀吉だ。

 無類のオペラ好きであり、店の2階の倉庫を練習場として解放してくれたのだ。自らちょっとした役でオペラに登場したり、時に脚本も手掛ける。

 今までの練習場所は小学校や幼稚園を借りたりしていた。陶雅堂は劇団員以外のオペラ好きも集まるサロンとなり、戦火の中でさえ、オペラの話に花が咲き様々な仕事の話もまとまっていった。

 さらにこの戦いのさなか、国(情報局第三部)からも援助が出ることになった。

 義江の音楽仲間が奔走してくれた結果で、この援助に歌劇団は大いに勇気づけられ、次作は何にするかなど日夜案を練るようになった。

 さながら会社の会議室となっているその陶雅堂で話がまとまり、シャルル・グノー作『ファウスト』を公演することになった。

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