スクイズ・バントが必ず成功するわけではないけれど (C)時事

 

 夏の高校野球予選が終わった。甲子園大会は8月6日(火)に開幕する。

 野球はアメリカで生まれたスポーツだ。多人種・多国家からの移民「合衆」国は、常に国家への忠誠と、「アメリカ意識」を植え付けなければ、まとまりの無い、勝手放題が野放しの烏合の衆に陥る。そこで「まとまる意識を植え付ける」ため考えられたアメリカン・スポーツが「野球」である。筆者の勝手な思いを紹介したい。

アメリカに流れる「野球精神」

 野球では、「徹底したチーム・プレー」が求められる。その嚆矢が「勝利のための犠牲」であって、その現れが「ワン・アウト・ランナー3塁」のケースでの「スクイズ・バント」だ。打者は、見事なまでの「特攻精神」で「監督の指揮に応え」、「3塁ランナーとの連携を信じて」、「ホームインのイメージを描き」、「必死の犠牲打」を放つ。

 日本語はこの情景を鮮やかに映し出している。「必死」の「犠牲打」は「一死」を数えるが、その成功は「勝利のヒーロー」を生む。アメリカ国民は、このようなスポーツに親しむことで「国や仲間に尽くす犠牲的精神」を無意識化している。そのヒーローはアーリントン国立墓地で顕彰される。国家をベースに考えれば「犠牲戦略 “Sacrifice Strategy”」は「アメリカのお家芸」であって、アメリカ人が野球に夢中なのは、「作為と意識」を伴って建国以来培われてきた固有のDNAなのかもしれない。

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