民衆信仰「修験道」の過去・現在・未来(下)

『修験道という生き方』(新潮選書)共著者・田中利典師インタビュー

執筆者:森休快2019年8月4日
「懺悔懺悔、六根清浄」の声とともに、足裏で修行する(写真提供・金峯山寺)

 

――最近は、「共生」とか「共存」という感覚が失われつつあるように思うのですが。異質なものと共存せず、むしろそれを排除しようとするような風潮が、インターネット時代になって顕著になってきたように思います。

田中:私もそう思います。

 たとえば今の子供たちは、小さい頃からスマホとかパソコンとかが目の前にあって大きくなっていっていますから、膨大な情報量に対してそれを判断し、自分の問題にして、自分の中でストーリーにしていくという知恵とか経験が乏しいんですね。もっと言うと、実は大人にもない。

田中利典師
 

 

 私などは、インターネットは比較的早く始めましたから、社会に広がっていくのに合わせて自分のストーリーを作っていけたし、それに基づいてインターネットを利用してきたはずなのですが、今はもう、そんな時代をはるかに通り越してしまっていて、子供たちの使い方について、大人が指導できるような知恵もないんですよ。

 それは非常に困ったことです。今や、急速に、誰も知らない社会が出てきている。しかもわずか30年ほどの間に、です。こんなことになるとは誰も予想していなかったわけで、驚くべきことです。

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