(7)ヒトラーとエヴァ・ブラウンの素姓

 ではアドルフ・ヒトラー自身は純粋にゲルマン、つまりオーストリア人またはドイツ人だったのか。必ずしもそうではないとする説がいくつもある。まずドイツの例を挙げる。

 週刊誌『シュピーゲル』は少なくとも2回、この問題を扱っている。まず1957年第24号。その表題は「アーリアの証拠なし」。ここでは『ヒトラーの青年期』の著者、フランツ・イェッツィンガーの説が紹介されていて、それによると、ヒトラーには4分の1、ユダヤの血が混じっている、つまり祖父がユダヤだったというのであった。ただし、イェッツィンガーはアドルフの父アロイス・ヒトラーが2分の1ユダヤであるとするには十分な証拠が欠けているとしていた。

 もう1つの『シュピーゲル』記事は1960年第31号の「ヒトラーの家系――濃厚な同種交配」であり、冒頭からアドルフが甥のウィリアム・パトリック・ヒトラーに、「私の家系を連中が知ってはならないんだ」と語り、ドイツ人の誰もを家系図探しに狂奔させた当のアドルフ本人が自分の家系をヤブの中に隠してしまった、としている。因みに、このウィリアム・パトリック・ヒトラーは1939年1月にドイツから逃走、1944年に米国海軍将校となっている。

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