1947年8月、ニュルンベルク医師裁判で絞首刑判決を受ける、親衛隊中将でヒトラー付き内科医だったカール・ブラント

 

 夏休みが終わった。毎年、夏休みには私が理事長を務める「医療ガバナンス研究所」に大勢の若者がインターンにやってくる。その中には高校生もいる。多くは医学部志望である。

 今年は3名の高校生がやってきた。いずれも神戸市の灘高校1年生だった。私は1987年に灘高を卒業しているから、35年後輩にあたる。生徒の母親が、私の友人と高校の同級生というご縁で紹介していただいた。予想通りだが、この3名も医学部への進学を希望していた。

 灘高は医学部に進学する生徒が多いことで知られている。今春の入試では104名が医学部に合格した。うち京都大学に26人、東京大学に20人で、共に日本一だ。

 灘高は1学年220人だから、卒業生の半数が医学部に進むことになる。この状況は異様だ。教員の中にも苦々しく思っている人が少なくない。

「現場からの逃走」

 灘高元教頭の倉石寛氏は辛辣だ。私どもが主催する『現場からの医療改革推進協議会シンポジウム』に登壇し、優秀な人材がバカになる例として「昔、陸軍参謀本部、いま東大理3」と揶揄したこともある。

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