灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(68)

執筆者:佐野美和2019年9月8日
まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)
 

「過去にこだわると老ける」

「人に愛されようとするといらだつ」

 のちのあきの生活の信条となる2つだが、今はまさにその苦しみの中にいる。

 義江との燃えるような不貞時代ばかりを思い出し、義江の心が他の女にあるのではないかという胸の奥底にあるくすぶった思いは、人一倍美容にこだわってきたあきを急激に老けさせていた。

 実際、この当時のあきの写真をみると別人のように感じてしまう。好奇心の旺盛さを感じさせる明眸は陰りをみせ、鼻にかかった甘い声が出てくる唇は、いつもの理路整然とした会話もないほどに硬く閉じられ寂しげな表情だ。

 一方、未来を語る2人は生き生きとしている。義江と砂原美智子は帝劇で矢継ぎ早に行われるオペラについての話も日々尽きない。

 義江が最も饒舌になるのは自分のパリ・オペラコミック座でのデビューの話だ。そんな話をしているうちに義江は「砂原をパリで正式デビューさせたい」と強く思うようになる。

 同じ夢に進もうとする2人は共犯者のようであり、その間には誰も入り込めないような雰囲気を出していた。

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