灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(69)

執筆者:佐野美和2019年9月15日
まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供)
 

「いいか、どんなに調子が悪い時でも女からの誘いは断るな。はってでも行くもんだぞ。それが男の生き方だ」

 山梨の「サドヤ」(大正6=1917=年創業のワイナリー)の赤葡萄酒のグラスを手にした藤原義江が、「小川軒」の3代目ムッシュこと小川忠貞に女性に対する哲学を教える。

「あとはだな、女とデートするなら教会が1番だぞ」

 フランスでの修行から戻った若き3代目が小川軒の厨房に立つようになったのが昭和45(1970)年なので、義江70代の発言である。義江は小川軒3世代のシェフの味を堪能した常連であった。

 明治38(1905)年創業、今年で114年になる小川軒のアルバムには、藤原あきの映る写真も残されている。

 小川軒の代表作となるお菓子「レーズンウィッチ」を作り上げた2代目ムッシュ小川順氏とテーブルを囲む、作家の尾崎士郎と藤原義江。その隣には、縦縞の着物に光沢のある格子柄の帯をしめたあきが、スープ皿やいくつものグラスを前に、ややうつむき加減に笑顔をたたえている。

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