灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(71)

執筆者:佐野美和2019年9月29日
まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供)
 

 藤原歌劇団のプリマ砂原美智子との情事が深いものになるにつれ、義江は砂原に対しサディスティックな傾向を見せるようになり、妻のあきに対しては恐妻家として頭の上がらない夫になっていく。

「不良中年」と「良人」、真逆の二面性の顔を持つようになる。

 オペラ『ファウスト』の大阪公演の時であった。

「奥さまが同じ大阪で、しかも同じホテルにいらっしゃると思うと、私は歌えなくなりそうです」

 正面切って砂原からそう言われた義江はドキッとした。

 翌朝、砂原はスーツケース1つを持って、ホテルからタクシーに乗ったと、義江はボーイから聞かされた。心当たりのあるいくつかのホテルに電話をかけてみると、神戸のオリエンタルホテルにいることがわかった。

 義江はすぐにオリエンタルホテルの砂原の部屋に駆けつけた。激しい口論となりカッとなった義江は砂原の胸ぐらをつかみ、いきなりビンタを張った。

 砂原はよろめいてベッドの横に倒れた。すぐに上半身を起し、ベッドによりかかり、両手で顔を押さえた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。