実現困難でも邁進する「一帯一路」で世界制覇

執筆者:樋泉克夫2019年10月2日
雲南省西端の芒市には「中国でインド洋に最も近い都市」との看板がある(筆者提供)

 

 習近平政権が対外政策の柱とする「一帯一路」は、たしかに政策的にも大雑把で大風呂敷と見紛うばかりであり、その手法は強引に過ぎ、費用対効果の面からも多くの問題点が論じられている。関係諸国を「債務の罠」に陥れる危険性は大と指摘され、政権が掲げる「中国の夢」は破綻必至とまで酷評する声も聞かれる。

 だが、そうであったとしても、すでに中国発の列車はユーラシア大陸を西に進み、ドーバー海峡を越えてロンドンに乗り入れている。中国が「泛亜鉄路」と呼ぶ高速鉄道路線の建設に見られるように、東南アジア大陸部においては紆余曲折を経ながらも、「一帯一路」は前に向かった歩みを見せる。この事実を軽視すべきではない。

 我々は「一帯一路」を習近平政権による無謀極まりない対外政策として位置づけるだけではなく、短期的には建国以来の70年間における中国政府の対外政策、長期的には漢族の伝統的対外姿勢の一環として捉え、「一帯一路」を取り巻く現実を冷静に受け止めるべき時期に立ち至っていると考えられる。

「超英趕美」を掲げた大躍進

 1949年10月1日の「開国大典」に臨んだ毛沢東は、天安門の楼上に立って「今日、中華人民共和国中央人民政府は成立した」と内外に向かって建国を宣言し、「これで我が民族は他から侮られることはなくなった」と続けた。1840年のアヘン戦争以来の「屈辱の近代史」を清算するに至った昂揚感が伝わって来る。今から70年前のことだ。

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