灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(73)

執筆者:佐野美和2019年10月14日
まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)
 

 人たらしの天才藤原義江は、舞台さながらのランデヴーを繰り返し女たちの気持ちを虜にしてきたが、やはり男が惚れる男だったと思う。

 恵まれた声と容姿に、恵まれなかった家庭環境。幼少の極貧時代から一転、すねかじりのお金で欧州で贅沢を身につけ散財、米国に散らばる日系人たちから喉一つでドルをたんまり稼ぎ、こちらもすべて散財。有り金は、女、服、装飾品、渡航費、ホテル代、豪華な食事、歌のレッスン代にとすべてぶちまけた。

 それからは、個人ではとても賄いきれないオペラという壮大な夢に向かって毎日札ビラを右から左にとばらまいているような日々を送る。

 サムライ魂を戦争によって抜き取られた男たちには、義江の生き方というのは危なっかしくも粋に見えてくる。「藤原義江」の先には碧い海が広がり、西洋の建物と男のロマンが見え、自分たちもワクワクしてくるのだ。

 義江としては潤沢にオペラを演りたいのであって、金持ちになりたいわけではない。金はあくまでも手段である。それにしても金がかかり、義江にとっての裕福な時代などというのはオペラを始めてからというものとっくに終わっていた。

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