ジャマイカで地元ビール「レッド・ストライプ」を飲んでいた時のこと。「ジャマイカの商品化に成功した天才はクリスだ」――そんな会話を耳にした。クリスとは、英国人のクリス・ブラックウェル。ロンドン生まれでジャマイカ育ちのクリスは、現地のビジネス界で神様と崇められている伝説的な“仕掛け人”で、現在でも北部の海岸地帯オラカベッサを拠点にビジネスチャンスを窺う。 オラカベッサとは「黄金の頭」という意味で、目の前には「ジェームズ・ボンド海岸」と呼ばれる砂浜が一面に広がる。イアン・フレミング原作の007映画第一作「ドクター・ノオ」で、水着姿のボンドガールが登場するあの美しい砂浜だ。それに隣接して、フレミングがこよなく愛した別荘「ゴールデンアイ」が静かに佇む。 フレミングは007シリーズの全自作を、この「ゴールデンアイ」にこもって執筆した。渡り鳥さながらに、冬が厳しい英国を嫌って毎年一月から三カ月間ほど滞在し、春になるとロンドンに舞い戻るという生活を、一九五二年から十二年間繰り返した。その死後、クリスが別荘を買い取り、ゴールデンアイは現在、四棟から成るヴィラ式の高級ホテルとして復活した。なかでも売り物は、作家が実際に寝起きしていた「フレミング・ハウス」と呼ばれる一戸建て別荘をそのまま保存している点だ。そのシーズン料金(十二月―四月)は二人で一泊約四千ドル也。高級ホテルといえる代物でもないのに、来年の三月までは予約で埋まっているとのこと。ホテルなのに道路には案内の看板ひとつなく、つい見過ごしてしまうが、これもブランド戦略の一環と聞く。007よろしく、シークレットを売り物にする。こうしてジェームズ・ボンドの聖地として商品化(ブランド化)することに成功し、欧米の富裕層を中心にリピーターが絶えないというわけだ。

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