ようやくミッテラン(右)を破り、大統領に昇りつめた当時のシラク(1995年)(C)AFP=時事
 

 1959年、ジャック・シラクは国立行政学院(ENA)を修了してアルジェリア農業総局長となり、アルジェリアに赴いた。

 時あたかもアルジェリア独立紛争の渦中であったが、シラクは「フランスのアルジェリア(独立反対)」を支持した。後の大統領フランソワ・ミッテランは当時内相で、議会で猛烈なアルジェリア独立反対の論陣を張っていた。それは19世紀前半から「フランス領土」であったアルジェリアに対するフランス国民の一般的感情だった。

 翌年にはアルジェリアから戻り、会計検査院に人省。航空運輸局長などを務めた後、親ドゴール派ジョルジュ・ポンピドゥー内閣のミシェル・ジョベール外相に見出されて政府の首相官房入りし、整備・建設・運輸責任者の任務に就いた。首相府には都合5年間在職したが、ポンピドゥー首相もシラクを「優秀な青年」として評価した。この当時、マルセル・ダッソーが外部から資金的援助を行った。

 1965年にサント・フェレオール市議会議員に選出され、2年後にはポンピドゥー首相に請われて共産党から議席を奪還するため、シラク家の地元コレーズ県で立候補し、僅差で代議士に選出された。最も若い閣僚として社会問題相付雇用問題担当閣外相補佐官に就任したが、この時全国雇用庁(ANPE=職業安定所)を創設した。

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