9.11では真っ先に弔問のため訪米したが、イラク戦争には断固として反対した(C)AFP=時事
 

 それはまさしく、進取の気性に富む新しもの好きのジャック・シラクの性格そのものであり、シラク時代はその試行錯誤だった。しかし時代はもはや、フランスがその存在感を単独で謳歌できる様相ではなかった。

 シラク大統領は、アメリカの「一極化」とグローバリゼーション(アメリカ的標準化)が加速化されていく国際社会において、フランスのプレゼンスをいかに示していくのか、に腐心した。そしてシラク大統領は、ポスト冷戦時代を二極から多極(マルチポラリティー)世界への変化と捉えた。

 1995年8月末恒例の大使会議で、シラク大統領が第1に触れたのが「多極的世界秩序」だった。中国、インドに加えて、メルコスール(南米諸国の関税同盟)、ASEAN、湾岸協力理事会(GCC)などの地域グループとの外交である。それは冷戦時代の西側陣営で「アメリカからの自立」を主張し続けたドゴール以来の伝統の延長であった。世界はアメリカだけではない、一極主義では世界は均衡を失い、不安定になる――。シラク大統領が終生持ち続けた国際観だった。

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