灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(82)

執筆者:佐野美和2019年12月15日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』(ダヴィッド社、1956年)より)

 資生堂美容部長として日々充実した仕事をこなすあきに、友人が『婦人公論』を持ってきた。

「少し前のものなんだけど、あなたたち夫婦のことが書かれてあったから。今のあなただったら冷静に読むことができると思って」

 と渡してくれた『婦人公論』には「愛情と芸術の谷間〜藤原義江・あき夫妻の危機 立山真二」という特集が6ページにもわたり書かれていた。義江のアメリカ公演の失敗と砂原美智子との恋愛。最後にはあきに対してのメッセージで、

〈どうか事を冷静に賢明に解決されんことを切望してやまない。そうしてそれでこそ、才色兼備の女性として、有終の美を発揮したものといえるのではないだろうか〉

 としめくくられている。

(まあ余計なお世話なこと)

 と雑誌を手から離したが、胸に引っかかるくだりがあった。砂原が藤原と結婚のため、砂原の夫と離婚の手続きを整えていると書いてある。

 義江はまだ自分と戸籍上の夫婦である。離婚の話も含めてお会いしたいと手紙を書いたのに、あれからなしのつぶてだ。砂原と結婚するのであれば、さっさとノシをつけて差し上げるというのにとあきは強がってみる。

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