ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供)

 仙台市の名所、榴岡公園。旧仙台藩で文人藩主と謳われた4代伊達綱村が、「四民遊楽」の場として枝垂れ桜などを植えさせて庶民に開放し、いまも市民たちの花見でにぎわう。

 広い公園には瀟洒な白亜の洋館が立つ。1874(明治7)年に建てられた旧陸軍歩兵第四連隊兵舎で、現在は市歴史民俗資料館。戦前、東北の軍都と呼ばれた仙台には第二師団司令部(現東北大学川内キャンパス)をはじめ、いくつもの旧陸軍施設が広大な面積を占めていた。

仙台陸軍幼年学校

 歴史民俗資料館と道路を挟んで、古今の歌枕・宮城野の名をよすがとする宮城野中学校がある。かつて、日清戦争後の1897(明治30)年に開校した仙台陸軍地方幼年学校の一角だった。中学校の歩道に面した隅に、幼年学校跡の記念碑と並んで、長年の風雪で黒ずんだ大きな石碑が残され、漢文調の碑文がこう刻まれている。

『此塢曰九思山。尤富景致。頂上松樹為今生所手植。本校創立以来二十有八年。花晨月夕為師生所遊息。今校将廃。感慨之情有不可言者。乃刻石以伝之干不朽云。 大正十三甲子三月』

 九思山とは、幼年学校の南西隅に植物園とともにあった高さ2メートルほどの築山で、第9期生たちが卒業記念につくった同校のシンボルだった。皇太子時代の大正天皇手植えの五葉松がてっぺんにあり、桜、ツツジも植えられ、毎年春に学校行事の観桜会が催された。

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