大晦日と正月に、ゴーン逃亡事件という日本が直接に関係した茶番劇と、ソレイマーニー司令官暗殺で急激に高まった米・イラン直接戦争の危機が持ち上がり、この欄で書くべきことがすでに山積みになっているが、さらに長期的に重要な出来事が矢継ぎ早に起きているので、まとめられるところからメモしておこう。

アラビア半島の角、ペルシア湾の出入り口のホルムズ海峡に面した戦略的要地にあるオマーンのカーブース国王(Sultan Qabus Sa'id Al Sa'id)の79歳での死去が、1月10日に発表された。カーブース国王は、英国の保護領だった1970年7月23日に、宮廷クーデタで父のサイード国王を追放してサイード朝オマーンのスルターンの地位に就き、翌年7月の外交的独立を経て、近代化政策と伝統を維持した発展をもたらしたことで知られる。2015年ごろから健康状態の悪化が伝えられ、ここ数年は何度も「死去か」との噂が飛び交ったが、米・イラン対決が小康状態になった時期を見計らったように、49年6カ月の長きに渡る治世の閉幕が告げられた。

カーブース国王は外交で穏健な中立路線を維持し、米・イラン対立、イラン・サウジアラビア対立、アラブ・イスラエル対立のいずれでも仲介者の役割を果たしてきた。2015年のイラン核合意の際にも、合意を米側で主導したケリー国務長官や有力次期大統領候補だったヒラリー・クリントン氏とイランとの間をつないだオマーンとカーブース国王の役割は知られている。

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