灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(84)

執筆者:佐野美和2020年1月19日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』(ダヴィッド社、1956年)より)

「いい女の条件? 亭主に浮気をされたことがないようでは一人前の女性とはいえないわ」

「いい男の見分け方? ふふっ、誰に聞いているんですか? 私にそんな見分け方の才能があったら夫に捨てられて1人で暮らしてやしませんわよ」

 昭和30(1955)年1月に、ニューヨークとパリへの出張から戻ってきたあきに、取材が殺到する。

 海外出張に1人で行った女性など大変珍しく、またその人物が、かつて「我らのテナー藤原義江」と呼ばれ今は「借金王 藤原義江」とも呼ばれる人の妻だからである。

 義江の元を去り、しゅんとして身を隠すように暮らしているかと思いきや、「藤原あき」は意外にもたくましく職業婦人の道を歩んでいたことに世間の関心は集まった。

 勤めるようになってわずか1年だが、適応力と柔軟性に優れたあきは、その昔から職業婦人だったかのような自信に溢れている。

 戸籍上はまだ藤原義江の妻であるが、すでに足かせが外れたようにあきは自由に発言していく。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。