灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(91)

執筆者:佐野美和2020年3月8日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』(ダヴィッド社、1956年より)

 昭和34(1959)年。

 三井が日比谷の東宝劇場の近くに建てたビルヂングの「飲食専門の地下フロアの一区画を経営しませんか」と、500万円の権利で三井関係者に募集をかけた。

「三井中興の祖」と言われた中上川彦次郎の娘、藤原あきのところにも優先的にその案内が来た。

 商売など未経験のあきだったが、資生堂美容部長とテレビタレントとしてノリにのっているあきは、

(もしかしたら自分はできるのではないか)

 というような気もしてくる。

 そこで相談に行ったのが、明治座に顧問として企画会議に出席している、作家の川口松太郎のもとだった。

 あきの相談に川口が、

「飲食店のことはさっぱりわからない」

 と呼んできたのは、明治座と人形町「濱田屋」社長の三田政吉(フジテレビ三田友梨佳アナウンサーの祖父)だった。

 3人での話し合いとなり三田は、

「三井ビルは素晴らしいです。何をやっても成功するでしょうが、喫茶店はいけない。近所にありすぎる。どういう店が良いか研究して差し上げるので、何日か待ってください」

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