灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(97)

執筆者:佐野美和2020年4月19日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 若手運動員の男子がバスガイドが使うようなマイクロフォンを握りしめながら第一声をあげる。

「ただいまよりテレビでおなじみ藤原あき、藤原あきの演説会を始めたいと思います。応援弁士は経済企画庁長官、日本の富士山(藤さん)富士山(藤さん)藤山愛一郎です」

 参議院選挙の公示を前に、数寄屋橋交差点から全国遊説の幕が開いた。

「まずは野原のような人のいないところでやらせてよ」

 と運動員に訴えるあきに反して、「藤原あき」という名前のアナウンスに大勢の人々が足を止めた。

「富士山の藤山愛一郎」とアナウンスして田舎で演説すると、藤山の登場にいかにも神々しいと拝みだすおばあさんもいるが、ここは都会のド真ん中だ。

 拝む人はいなくても「絹のハンカチ」見たさに人が集まる。

 さらに横にはテレビで見慣れた顔の藤原あきがいつもの着物姿で立っているわけであるから、話を聞かないわけにはいかない。

 藤山がまず経企庁長官としてこれからの経済計画や景気の動向について話しだすと、人々は腕を組み食い入るように聞く。

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