灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(98)

執筆者:佐野美和2020年4月26日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 昭和37(1962)年、テレビによって新しい情報を瞬時に伝えることができる時代だというのに、毎日行う選挙活動というものはなんと時代錯誤な遺物であろうかとあきは感じる。

 そう思う一方で、草履を汚しながら選挙民と交わす言葉、握手。泥臭いふれあいにのめり込んでいく自分がいる。

 いわゆる「ドブ板」と言われる活動にも力を入れているが、表には出さない大切な活動もある。

 小泉純也選挙事務長のもとで金庫番を預かる原嶋亮二からの指示で、大学を出たばかりの運動員・杉浦和彦は、あきと一緒に大阪の松下電器産業に向かった。

 あきと松下幸之助社長は旧知の仲らしく、いつもの話ぶりで「出馬することになりましたの」と始まった会話は30分に盛り上がる。

 帰り際に先方の秘書から杉浦が言われたのが、

「用意ができましたらお持ちしますので、しばらくお待ちください」

 社を出るときに渡されたのはカバンに入ったお金だったと、思う。

 思うとは、杉浦はそのまま数寄屋橋の事務所に帰り、原嶋に渡したわけであるから中は見ていない。なにしろ無事にカバンを持ち帰るという使命感で、異様な汗が流れてくるほどだった。

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