暴落時の価格で決済すると通知したことで中国人一般投資家から大批判を浴びている(C)EPA=時事
 

 テヘランにもゴルフ場があった。

 正確には、「元ゴルフ場」があった。

 その前に。

 産業革命を牽引したイギリス人は、蒸気機関車を発明、発展させ、世界各地に鉄道網を敷設した。当然、イギリス人高級技師が現地に駐留し、鉄道建設を推進した。

 彼らは、週末の余暇を楽しむため、鉄道建設現場の近くに必ずゴルフ場を造ったと言われている。ゴルフ場を造らなければ現地勤務を拒否した、とも伝えられている。

 筆者の乏しい経験でも、出張で訪れたアルゼンチンでもエジプトでも、鉄道中央駅のそばには必ずゴルフ場があった。

 タイでは、国王の避暑地といわれるホアヒンや、北部のチェンマイなどの駅のそばにゴルフ場跡地があった。かの地では、豪奢なゴルフ場が数多く新設されており、9ホールしかなかった昔のゴルフ場はもはや使用されていないのだ。

 テヘランには、「元ゴルフ場」があった。

 1979年のイラン・イスラム革命で倒れた皇帝シャーが、「白色革命」と呼ばれる西洋化政策を推進したことの名残か、市内北部の一等地にスポーツ・コンプレックスと称する広大な地があり、その一角にゴルフ場があった。

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