灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(100)

執筆者:佐野美和2020年5月10日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 昭和37(1962)年7月2日。

 眠ったのか眠れなかったのかわからない質の悪い睡眠で、あきは9時に待機場として投宿した帝国ホテルのベッドから半身起き上がった。

 昨日の投票日の天気は朝から雨が降るもののしだいに曇りとなる、選挙にとっては好条件の「足止め天気」となった。天気も後押ししたのか、前回の投票率58.7%をはるかに上回る68.2%となった。

 人は年齢とともに早く目がさめるというが、あきは違う。

 9時はあきにとって明け方のような早朝であり、とても起きられない。

 資生堂の仕事では昼前の出社があきにだけは認められてきたが、出張などで午前中から店舗を回っていく仕事の時は本当につらかった。他の明治生まれの女たちは夜明けより早く起きて家事労働にいそしむというのが常であるというのにと、あきは少しだけ自分を恥じた。

 しかし今日は違う。

 選挙結果が不安で心配で、とても眠っていられない。

 かといって身を起こしても支度をする気にもなれないのだ。

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