灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(101)

執筆者:佐野美和2020年5月17日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 あきの当選は、同時に「タレント議員」という言葉が誕生した瞬間だった。この言葉は、あきを皮切りに未来永劫使われることになる。

 あき自身は、この勝因をテレビの力がほとんどであると実感する。資生堂、そして藤山愛一郎がつけてくれた業界団体の支援の力もあるが、100万票の半分以上はテレビの力ではないかということを肌で感じた。

 すごい時代になったものだ。

 自分の姿かたち、しゃべり方やどんなことを話すのかまで、日本全国の人たちが昔から知っているような対応をしてくれた。それは田舎ほど熱狂的だった。

 ちなみにこの時で、テレビの普及率は2世帯に1台という割合になっていた。

『私の秘密』に出演していた当時は、地方の見物に出かけても自分が見物の対象となり人だかりとなってしまうのが、わずらわしいと感じたこともあった。

 しかしこと選挙となると、自分の顔と名前をもっと知ってほしい、自分の考え方はこうなのと、積極的に人に接した。遠まきに自分を見ている人には自分からかけより、言葉を交わして握手をした。

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