
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)
あきの当選は、同時に「タレント議員」という言葉が誕生した瞬間だった。この言葉は、あきを皮切りに未来永劫使われることになる。
あき自身は、この勝因をテレビの力がほとんどであると実感する。資生堂、そして藤山愛一郎がつけてくれた業界団体の支援の力もあるが、100万票の半分以上はテレビの力ではないかということを肌で感じた。
すごい時代になったものだ。
自分の姿かたち、しゃべり方やどんなことを話すのかまで、日本全国の人たちが昔から知っているような対応をしてくれた。それは田舎ほど熱狂的だった。

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