
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)
日本の伝統と西洋文化が交わる時代の「おしゃれ」や「化粧方」を説いてきたあきが、顔にかかわるガンになるとは因果なものだった。
「死んだら白一色で飾ってね」
と常日頃から冗談めいて話していたあきに対し、
「たくさんの白菊にとり囲まれ、透き通った白肌は少女のようでした」
と秘書の飯島は報道陣に語った。
あきの深刻な病気の発症は、ちょうど出馬の決まった時期と重なった。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン
